ブログ「私の古文書学習法」保管箱
書翰の解読には運も必要かもしれない
史料紹介「山本五十六元帥の書翰等」 2013年5月10日金曜日
書翰の解読を依頼されたとき、大丈夫だろうかと怖じ気づく気持ちと、新しい出会いにワクワクする気持ちが半々ぐらい、の感覚になります。最近は、ダメで元々ということで、ワクワク感の方が強くなりました。
山本五十六元帥の書翰の解読を依頼されたときは、めったに無い機会ですので気分が高揚しました。ただ、「初対面」でありますので、書き癖が掴めないので、不安にも駆られました。ここ数年、少し「狡さ」も覚えましたので、途方に暮れるときは先行事例が無いかとネットに頼ることにしております。
今回は幸運でした。上記の「史料紹介『山本五十六元帥の書簡等』」という文献がヒットし、十分な予習をすることが出来ました。どなたが公開されたものかは分かりませんが、本当に有難かった。御礼の気持ちを込め、ここにご紹介します。
www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/200103/12.pdf (戻る)
明治の文体に慣れるためのトレーニングとして
「井上馨関係文書」所収伊藤博文書翰翻刻 2012年10月2日火曜日
いただいた案件に、明治の政治家に宛てた書翰の解読というものがありました。
書翰の解読は、それでなくとも難しいのですが、明治時代の書翰には独特の難しさがあると気づかされることが多いです。使われている語彙が難解で、くずし字の書体も「御家流」とは違うような気がする。さらに言えば、字も、「御家流」で書かれた公文書類に慣れた目には下手くそにも感じる。
ともあれ、古文書解読で壁にぶつかった時は「文体」に慣れることが近道なので、またインターネットに頼ることにしました。
試しに「伊藤博文」「書翰」と入力し検索したところ、大量の文書が表示されました。原文の画像もヒットしましたが、目的は「文体に慣れる」ですので、翻刻したものを探したところ、「「井上馨関係文書」所収伊藤博文書翰翻刻」、「伊東巳代治関係文書」所収伊藤博文書翰翻刻」(いずれもpdfで公開されています)とか面白そうな文献にたどりつきました。この資料は、国立国会図書館の憲政資料室所蔵のものを翻刻したもののようです。
歴史を勉強するつもりではなく、文体に慣れたいだけなので、書簡文に特有の「頭語」「結語」「脇付」や「言い回し」に注目して読んでいます。系統的な学び方ではなく、行き当たりばったりの学習方法ですが、書翰文に慣れる近道として、ヒマのある方には是非おすすめしたい方法です。
この資料そのものも非常に面白い。おおざっぱな印象は「与党は辛いよ」という感じで、初代内閣総理大臣・伊藤博文は大変苦労されたようだ。歴史上の人物の「肉声」にふれるような心地がして、書翰文を読むのは結構面白い。(戻る)
不奉顧恐多以書付嘆願奉候
おそれおおきをかえりみたてまつらずかきつけをもってたんがんたてまつりそうろう
「群馬県立文書館インターネット古文書講座」第188話から 2012年5月25日金曜日
古文書解読トレーニングということで、今回も「群馬県立文書館インターネット古文書講座」の古文書にお世話になりました。
この文書は「初級」ランクらしいのですが結構難しかった。この古文書は当時の藩の税制についての知識がないと誤読してしまう。表題も最大級に畏まったもので、不勉強をさらけだすようですが、初めて見る表現でした。
「解説」によれば、この文書は明治二年(1869)高崎藩で起きた、後に「五万石騒動」と呼ばれた強訴の際提出されたもの(この文書は下書き)のようです。三人の訴人が強訴を理由として斬首されたということですから、大事件です。解説によれば、高崎藩の年貢は「八公二民」ということですから全国的にも珍しい重税でした。しかも数年続く凶作に対して高崎藩は無策だったようで、強訴に及んだということのようです。
古文書を読む(僕が考える)「作法」の一つとして「真に受けない」があります。借金の証文等に「年貢が払えないから」という記述があった場合、戦後教育の優等生ほど「幕府による搾取」を連想するのですが、中にはそう単純ではないこともあるとか。博打で負けて年貢を納める金が足りなくなったとしても「年貢が払えない」ことには変わりないので、借用証文の文言には嘘は無いのだけれど・・・ということもある、らしい。古文書を読む場合は文章を正確に読むことだけを心がけ「このように書かれている」程度にしておくのが「作法」だと考えています。
この種の嘆願書の場合でも、賢く統治している藩では、「ガス抜きの儀式」であることも考えられます。統治の「キモ」は「無用な混乱を避ける」「ソフトランディング」です。一揆だの強訴だのが頻発し、それに対する暴力・弾圧が繰り返される藩は、幕府の側から見れば統治能力が無いとみなされます。幕府には、今の政治でいわれる「任命責任」があるのですから、「無能な藩主を任命した幕府が悪い」と矛先が幕府に向いたら一大事です。よく統治されている藩であれば、「嘆願書」が出された段階では既に根回しは済んでおり領民との妥協は成立していると思われます。そのような嘆願書は多くみられ、「例年通りお願いします」のような内容になっています。
この高崎藩への嘆願書で印象に残るのは「只管 御殿様奉始重御役人様方之御裾縋飢渇之論所相凌先祖代々百姓共御領内不相離城付五万石之内ニ而農事相営申度・・・」の部分です。この「御裾縋(おすそにすがり)」が胸に迫ります。が、これも表現としては普通に見られるものかもしれず、今のところは「真に受けない」ようにします。
これからは、ばか丁寧な嘆願書を見たら極度の緊張関係があるのではないか、と疑ってみようと思いました。
「群馬県立文書館インターネット古文書講座」 (戻る)
http://www.archives.pref.gunma.jp/inter-koza.htm
「脇付」を説明文に含む言葉 goo辞書にはお世話になりました 2012年5月18日金曜日
書翰文を解読するときに必要な知識・教養を何とか身に付けたいものだ、と考えるこのごろ。
このごろ、戦前の書翰を解読する機会が増えた。戦前の書翰文を目にすると、文語体が十分に残っていることに気がつく。敗戦で失ったものの中で最大のものは文語体だったのではないかとさえ思う。文語体が淘汰されたのは敗戦のせいだけではないとは思うのだが、「日本的なもの」を否定した占領政策が、それを加速させたことだけは間違いないと思う。「戦前」の言葉に、戦後世代の僕らは「軍国主義」を重ねてしまうけれども、「軍国主義反対!」のフィルターだけで戦前を見るのは正直疲れるし、全てを否定してしまうような思考は「偏向」或は「ゆがんだ見方」というものだろうと、歳を重ねるにつれ思うようになった。まあ、文語体の雰囲気が好きだというだけで、ここまで飛躍するのも大人げないので、再び書翰のことを。
ただの印象なのだけれど、戦前までの書翰文は、悪い言い方をすれば「形式的」で、よく言えば「様式美」。最近覚えたばかりの「頭語」や「結語」、「前付」「末文」は、見ようによってはまさに形式そのものだし、それらを無駄と考え用件だけを取り出せば、ほんの数行で足りてしまうこともある。以前読んだ書翰文に、婦人の書いたものがあったのだが、ほとんど「お詫び」の文言だった。「ご無沙汰」を詫びることから始まり、長々とした御詫びの後に やっと本題に移るのだが、用件が「頼み事」だったりすると更に御詫びの文言が延々と続くことになる。 最後は「このような手紙を出し煩わせたこと」を詫びてやっと落着。
形式的であり読む側には退屈ですらある書翰の形式は何故続けられてきたのか。やはり意味があるから続けられてきたのだと思う。日本人の精神性のようなものも関係があるのだろうか。何より、相手への気遣いだとか思いやりだとか敬意が感じられ、文章のリズムが心地いい。たぶん先人もそんな「無駄」を楽しんで来たのだろう。
書翰文を解読する上でも、その「無駄」がとてもありがたい、ということに気がついた。「頭語」「前付」「結語」「末文」で使われる語彙や内容はほぼ決まっているので、極端な達筆や悪筆でも何となく内容は推理できる。それを読みながら筆者の書き癖をつかむことで、解読が進めやすくなる。
で、「脇付」のお題のことになるのですが、専門用語の類いは教養として押さえておかないと歯が立たない。たまたまネットで検索したら「goo辞書」に「脇付を説明文に含む言葉」として、「脇付」がドッと表示されて助かりました。「ウィキペディア」や他の辞書には解説は載っていたものの語彙は少なく役に立たなかったので、素直に感謝です。
大正版「手紙の書き方」を手がかりに書翰文攻略の方法を探る
「大正書翰文 習字応用」(大正4年)より 2012年3月30日金曜日
書翰文を読めるようになりたい。
まず文体に慣れる必要があるので文例は無いかとネットで捜したところ、面白いものを見つけました。
「大正書翰文 習字応用」(大正4年)というものです。今も「手紙の書き方」の本がありますが、あの類いの本です。大正4年といえば、明治元年から数えて約50年後ですから十分「文明開化」しているかと思いきや、この本を読む限りでは、まだまだ「江戸文化」が生きていて興味深い。
ここに登場する文章作法や語彙を知ることにより江戸時代の書翰文に近づけるのではないか、そんな期待があります。ざっと見るだけでも、現在は使われなくなった「頭語」や「結語」が見られ、「前付」や「末文」の形式も大いに参考になります。おそらくは大正の当時も江戸の昔に比べれば簡略化されているのだとは思います。が、書翰文のパターンを知ることで、入るべき語句の推理がしやすくなるので助かります。
これで少しは楽になったとは思うのですが、これが崩し字になった場合を考えるとまだハードルは高い。特に、「結語」や「脇付」の、ニョロニョロした線にしか見えないような、極端に省略された崩し字は、やはり現物を見て慣れるしかないのだけれど、さてどうするか。
「大正書翰文 習字応用」は「国立国会図書館サーチ」というサイトにありました。
http://iss.ndl.go.jp/
インターネットは「知の互助会」だと思う。 「互助」というよりは、助けてもらってばかりだけれど
2012年2月11日土曜日
古文書を読んでいて、苦しむのは地名や人名・苗字の解読です。地元の古文書を読むときは極端に省略された文字でも難なく読める場合がありますが、そうでなければ無理です。仮に文字の形から判断できたとしても、本当にそんな地名や人名・苗字があるのか、それだけでは不安になります。そんな時は、インターネットのサイトに頼ることになります。
たまたま系図を読む機会がありました。書かれている内容から、島津家の家臣のものであるらしいことは判断でき、解読はさほど難しくはないのですが、人名の崩しが分からない。系図は楷書で書かれていることが多いので、内容の解釈はともかく、翻刻だけは何とかなるのですが、この場合は肝心の固有名詞の部分が崩し字で書いてあり、難解でした。日常目にする苗字であれば崩し字も判断できますが、地方の文献に登場するものの中には活字でも読めないものがあります。例えば、「頴娃」は「えい」と読むらしいのですが、難解です。
「島津家」「家臣」と検索語を入力し、出て来たサイトを訪問しますが、一発で目的に到達するとは限らず、図書館に行くよりは楽ではあるものの、それなりに根気の要る作業です。たまたま見つけたのが、「島津家家臣団人名録」というサイトでした。
今回の場合、苗字を知りたかったので、画面をスクロールしながら捜してみました。手がかりとしたのは、たまたま読めた漢字1字。「頴娃」の「娃」でした。この字を使っている苗字がないかと原文と照合し、判断していくわけですが、運良く見つけることができました。その他にも読めない苗字がありましたが、同じ方法で何とかなりました。
字が読めれば良かったので、僕の作業はここで終了です。
今回お世話になったサイト
「島津家家臣団人名録」
http://www.geocities.jp/kawabemasatake/simadu.html
解読トレーニング 「甘楽郡魚尾村の婿養子縁組取り替わせ証文」
「群馬県立文書館/インターネット古文書講座」より 2011年12月19日月曜日
暇な時は、解読トレーニングをすることにしています。教材は、ネット上に公開されているものを使っています。
今回は、「群馬県立文書館/インターネット古文書講座」の今月公開分「甘楽郡魚尾村の婿養子縁組取り替わせ証文」を読んでみました。このサイトは以前も紹介しましたが、解読文付きで解説も充実しており、とても勉強になります。
内容は「石高二石八斗三合を所持する甘楽郡平原村の良平は、家を嗣ぐ男子がいなかった。そのため平原村の銀平と魚尾村の和泉の両人が仲人になって、魚尾村清七の次男勝三郎を婿養子として迎えることになった。」(「解説」より)というものです。
以下、僕流の解釈と感想。
サラリーマンは「跡取り」問題を意識することは無いかもしれませんが、それでも「老後」は気になります。多少なりとも財産を持っていると、「老後」だけでなく「相続」問題も生じて来るし、事業を営んでいる場合は、後継者問題も生じる。この事例は本百姓=自営業者の「後継者問題」と捉えると分かりやすいと思います。どのような資質を持った婿に来てもらうかは、家族の問題だけでなく、経営上も大問題なはずです。勤勉で有能、人柄にも優れ、健康で、(できればイケメン)の婿に来てもらえれば一族の繁栄間違い無し。「持参金」の解釈も、「家柄の釣り合い」という側面から見るというのもアリかもしれない。「家柄の釣り合い」は、現代の結婚観とは相容れないかもしれませんが、「経営」の視点からは合理的な選択基準といえます。不遜な例えで恐縮ですが、「サラリーマン家庭に育ったニートやフリーターを企業の跡継ぎにして大丈夫?」みたいなもので、できれば、親・経営者の薫陶を受けた人材が欲しいと考えるのではないか。この場合は同規模の農業経営の経験のある者を婿に選んだということかもしれません。
証文には、当人、親類、組合惣代、仲人、年寄惣代、組頭兼年番名主の署名、押印があります。婿取りの証文に村の名士の署名、連印が必要とは、ずいぶん窮屈な印象もあります。が、村落にあっては、家の存続は個人の問題だけではなく、地域の発展とも関わりあることなので、この場合「個人を抑圧する悪いシステム」とだけ捉えるのではなく、「温かい地域社会のシステム」と捉えてあげるのがいいと思います。
誤読した文字は「石高弐石八斗三合」のところの「弐」の文字。くずしが「御」に似ている。それから、「魚尾村」の「魚」。地名は相変わらず難しい。「広目金樽代」の「樽」。「樽」は祝言等の文書によく出てくるのですが不覚でした。
群馬県立文書館/インターネット古文書講座のサイト
http://www.archives.pref.gunma.jp/inter-koza.htm
知識ゼロから学ぶ漢詩
「漢詩作法入門講座」のサイト 2011年11月30日水曜日
「漢詩コンプレックス」を抱えたままでは何か不安で落ち着かない。
目の前の「壁」を乗り越えるのは大変そうなので、せめて「壁」を眺めたり周囲を歩いてみたりすれば何かいいことがあるのではないか。要するに、本格的な学問は避けて、コツだけでもつかみたいというムシのいい了見。
そんな発想から「漢詩 基礎」という検索語を入力したところヒットしたのが、「漢詩作法入門講座」というサイトです。「作法之巻」「鑑賞之巻」「詩話之巻」「漢籍之巻」「資料之巻」の構成で、内容は初心者にも分かりやすく丁寧に解説されています。「作法之巻」を読んだだけで「分かったような気分」になります。それが素人の素人たる所以だとは思うのですが、手がかりをつかめたような気がして、素直に嬉しい。
「コツ」といえば、「詩語表」というものの存在を知ったことは大きな収穫でした。漢詩に登場する難解な表現は、この「詩語表」が基になっているらしい。顰蹙を承知で言えば僕にとって「カンニングペーパー」を手に入れたようなもので、これは漢詩解読にも使えるツールになりそうだと、独りほくそえんでいます。
「漢詩作法入門講座」のサイト
http://kansi.info/
漢文を読める人になりたいなあ・・・
「日本漢文の世界」のサイト 2011年10月19日水曜日
僕は古文書を「雰囲気」で読むタイプですので、慣れない文体に出会うと、とたんに立ち往生ということになります。「くずし字」に多少慣れて来たとはいえ、やはり、知識の絶対量が少ないとうまくいかないことが多い。
僕にとって「慣れない文体」の究極は、漢文です。楷書で書かれていても読めない。どう読み下していいか分からない、苦痛。「やーいバーカ」といわれて、悔しいけれど言い返せない状態とでもいうか。漢詩の書などは、更に、「くずし字」の解読が加わりますので、もうどうしたらよいか分からない。
たまたま、漢詩にふれる場面があったので、これを機会に少し勉強してみようかと。とりあえず、NHKテキスト「漢詩をよむ」を買って読んでみました。今は、超入門者の分際ですので、漢詩とはどのようなものかを概観しておけばいいので気楽に読み流しました。感想は、日本文化畏るべし。面白かったけれど、ハードルはものすごく高い印象でした。古文書読みの商売に使えるレベルに到達するのは、たぶん無理。ただ、教養として知っておくことは必要だとは思いました。僕の勉強法は、「習うより慣れろ」ですので、これから漢文、漢詩にも触れる機会を増やし、ひたすら慣れようと思います。
サイトを検索したら、「日本漢文の世界」というものを見つけました。全体として、漢文の紹介という構成になっているので、原文もテキストで紹介されています。漢文の文体に慣れるための教材として使えそうです。僕が気に入ったのは、「英傑の遺墨が語る日本の近代」です。「遺墨」が画像で紹介されていますので、「くずし字」解読のトレーニングにもなりますし、僕の「漢詩アレルギー」にも効きそうです。
「日本漢文の世界」
http://kambun.jp/
習うより慣れろ・・・ 解読トレーニングにおすすめのサイト
新潟県立文書館のサイト 2011年10月8日土曜日
ここに紹介するサイトも古文書解読トレーニングに最適なサイトです。
新潟県立文書館の「インターネット古文書講座」には、現時点で72篇もの古文書が紹介されています。内容も多岐にわたっていて、読み物としても楽しめるものが数多く収録されています。サイトもリニューアルされたようで、以前のものに比べて読みやすくなっています。
「ある村の女性が嫁ぎ先から逃げ出し、その後どうなったのか・・・」「家出した娘が江戸に行ったらしいが・・・」事件の一端を記録したものなどは、ハラハラドキドキしながら読むことができます。「江戸時代にもこんなことがあったのか・・・」と、奔放な女性の生き方に何故かホッとしさえします。何しろ僕らが受けた「歴史教育」は、「江戸時代の女性はひたすら忍従を強いられていた」というものでしたから、たまにこのような危なっかしい娘達が登場すると、ガチガチだった「歴史認識」がほぐれていくようで、嬉しい。
庶民の日常の暮らしを知ることもでき、楽しみながら解読トレーニングができるので是非おすすめのサイトです。
「新潟県立文書館」のサイト
http://www.archives.pref.niigata.jp/internet-komonjo-koza/01to10/
お世話になっております「検索機能」 2011年9月2日金曜日
私は古文書を雰囲気で読むタイプなので、読み慣れない文体や地名や人名が出てくると、とたんに「お手上げ」の状態になってしまいます。見たこともない文字を「扁」や「旁」の形から、それらしい文字をあてはめてみるのですが、支離滅裂な日本語になってしまうこともしばしばです。
苦し紛れに使う方法が「検索」です。分かる範囲の文をそのまま検索にかけると、様々な文献の似たような文章がヒットすることがあります。新たな語彙や、その使われ方を知ることにもなり便利です。稀にではありますが、読んでいた文献と同種の文献がフルテキストで出てきたことがあります。気を良くして検索を繰り返すのですが、まぐれは続かないようです。
原文読み放題のサイトは無数に存在するのかもしれない・・・
東京学芸大学リポジトリのサイト 2011年8月18日木曜日
旧家から出てきた文献に「庭訓往来」の写本がありました。注釈のついていないものだったので、ネットで「正解」を探したら「東京学芸大学リポジトリ」のサイトがヒットしました。所蔵されている版本の膨大なリストを目にすると怖じ気づきますが、読みやすそうなものを選んで読んでいます。くずし字の読み方や、文物の名称などなど、勉強になります。
書簡文などで妙に古めかしい表現を目にすることがあります。漢籍の知識が無いとやはりダメかなと不安になるのですが、そう小難しく考えることもないのではないか、とも思いました。上級武士や知識人の教養を身につけるのは無理としても、当時の一般常識を学ぶことができれば大概のことは分かるのではないか、と。
「往来物」といえば、歴史の教科書に出てくるものですが、体系的でも学問的でもない実用書という、ネガティブな印象が刷り込まれたような気がします。先入観を捨て、古文書を学習する立場から往来物に注目すると色々役立ちそうです。
東京学芸大学リポジトリのサイト
http://ir.u-gakugei.ac.jp/
古文書を通じて「地域を発信」する「古文書解読自習プログラム」
北海道立文書館のサイト 2011年8月6日土曜日
全国の文書館のサイトを訪ね歩く、というか「ググ」ってみると、まれに面白いサイトに出会うことがあります。
たまたま見つけた「北海道立文書館」ですが、このサイトも充実しています。
「北海道立文書館」では「古文書解読自習プログラム」を企画していて、直接文書館を訪ねて学習するようになっているようです。そのテキストがサイトに公開されているので、誰でも気軽に自習することができます。初級、中級、上級の10編程の文献と解読文が公開されていますが、結構難解です。書簡は特に難しいのですが、北海道開拓に携わった官僚の私信は現場の苦労が察せられて面白いです。また、「巡幸」関連の書簡は、特殊な語彙が出て来るので、その勉強にもなります。
古文書から離れて、北海道開拓史の一端を知る目的で、解読文を読むだけでも面白いと思います。
このごろは「インターネットで全国に発信」などという表現は使われなくなりましたが、「地方」を知らせるという意味では、古文書は有力なコンテンツではないかと、思いました。
北海道立文書館「古文書解読自習プログラム」
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/mnj/d/jishuupuroguramu.htm
とにかく文書量がすごい!短期間で力のつく「インターネット古文書講座」
群馬県立文書館のサイト 2011年8月1日月曜日
このサイトに出会ったおかげで、私の古文書解読力がアップしたと思っています。
圧倒的な文書量を誇る「インターネット古文書講座」。これは、「ぐんまの古文書(上・下)」(群馬県立文書館編)を一冊丸ごと公開しようとするもののようです。現在、150編程が公開されていて、今後も続けられるようです。サイトの構成は極めてシンプルで、表形式の目次をクリックすると文書が閲覧できるようになっています。この分かりやすさも魅力です。
古文書学習の最大の壁は、「教材」の少なさだと思います。確かに、文書館に行けば古文書原文の閲覧や複写のサービスはありますが、初心者向きではありません。初心者には独習のできる「教材」が必要です。「教材」の要件は、原文と解読文、解説がセットで提供されていること、です。解説抜きで、「問題」と「答え」だけでも構いません。答え合わせをすることで、自分の読み癖や弱点をチェックできます。
群馬県立文書館のような形式であれば、既に刊行されている文献を二次活用するだけですので、簡単でしかも廉価に公開できるのではないかと思うのですが、難しいのでしょうか。
群馬県立文書館「インターネット古文書講座」
http://www.archives.pref.gunma.jp/inter-koza.htm
「電子くずし字字典データベース」はすごい! が、使いこなすのは大変かも
東京大学史料編纂所のサイト 2011年7月30日土曜日
「くずし字」と「ググって」偶然みつけたサイトです。検索画面に漢字を入力すると、関連する「くずし字」が表示される仕組みになっています。タダで「くずし字字典」が手に入ったようなもので、これを見つけたときは小躍りしたものです。が、実際に使いこなせるかというと、結構ハードルは高いです。
古文書を前にして、どう読めばいいのか分からない時、検索語を入力できるかというと、不可能です。文脈上「たぶんこう読むのではないか」と推理できるようになってからでないと、このデータベースは使えません。ただ、膨大な画像データがあり勉強になります。
顔認識技術が実用化されているのだから、古文書認識技術もあればいいのに、と思います。読めない文字を携帯で読み込んで、ボタンを押すと解答が出て来る・・・みたいな。もっとも、そんな技術を開発する意味があるのか、という疑問も湧きます。たぶん膨大な開発予算が必要なはずなので、そのお金を古文書解読予算として使う方が、古文書の保存と活用につながるのではないか、と。そのどちらにも膨大な予算を注ぎ込む価値が無い、という意見も出て来そうですが。
私は「くずし字」に慣れるトレーニングのつもりで、検索してみたりしています。「こんなくずし字もアリかよ!」なんてブツブツいいながら。
「木簡画像データベース・木簡字典」「電子くずし字字典データベース」連携検索http://r-jiten.nabunken.go.jp/
初心者にも親切な「古文書解読チャレンジ講座」
「東京都公文書館」のウェブサイト 2011年7月29日金曜日
東京都公文書館のサイトに「古文書解読チャレンジ講座」というコーナーがあります。初心者に親切な構成となっていて大いに参考になりました。特徴は「解読文」が原文に添えられていることです。文字を1対1で対応させるレイアウトのため、視覚的に分かりやすく初心者向きです。
以前、このタイプのコンテンツを試作したことがあります。原文の画像をフォトショップで切り貼りして、行間を適当に空けて、解読文を埋め込んで行くのですが、結構時間がかかりました。時間がかかるということは、お金がかかるということですので、この種のコンテンツを大量に作るのは難しいだろうなと、このサイトを見るたび思います。
江戸時代は大量の文書が生み出された時代で、江戸はその中心。東京都公文書館には大量の「お宝」が眠っているはず。この「古文書解読チャレンジ講座」がパワーアップし、全ての文献がインターネット上に公開されたらいいのに、と思います。もっとも「費用対効果」を理由に「仕分け」されちゃいますかね。
東京都公文書館
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/index.htm
「ものぐさ」でも始められる古文書 2011年7月28日木曜日
「SOHO吉田屋」の「別館」を始めることにしました。
主に私の古文書学習法・私の流儀について書きたいと思っています。いわば「独り言」です。
私が最初に手にした、お金を出して買った、古文書の入門書は「江戸かな古文書入門」「古文書手習い」(吉田豊:著/柏書房)でした。初心者にはぜひお薦めしたい文献です。
特に印象に残ったのは著者の「あとがき」でした。著者の吉田豊さんが本格的に古文書の勉強を始めたのは定年近くなってから、らしい。この、いわば独学で古文書を極めた、ということに感動したのですが、これにより古文書学習への心理的なハードルがグーンと下がりました。大学で専門的な研究をしなくとも、素人なりの勉強の仕方でも何とかなるかもしれない。
では、どうやって?
僕は「ものぐさ」で、しかも貧乏なので、古書店を訪ねて資料を蒐集する気力もお金も無いし、「古文書講座」に通うのも敷居が高そうで、何となく億劫だし・・・。で、すぐに思いついたのはインターネット。困ったときに「ググる」という安易な方法で「古文書」を検索してみました。インターネットの時代だから、古文書学習に役立ちそうなサイトは無数に存在するはずです。が、国立国会図書館のサイトを見た時は「めまい」がしました。どうしていいか分からない、途方に暮れる思いがしました。情報は膨大に存在するのですが、自分の必要とするレベルの情報に辿り着くのには多少の忍耐と「ご縁」が必要なようです。
このブログでは、インターネット上に存在する、私が古文書学習でお世話になった、今でもお世話になっている、サイトを紹介して行きたいと思っています。